ビギナー 日記

1999年4月
この 「ビギナーときたま日記」は、MACを買って5ヶ月経過したのをキッカケに始めました。 最近巡回しているURLは、ほとんどMAC系のサイトです。MAC系サイトの日記が滅多やたらと楽しいので 真似をしたくなりました。

1999年4月30日(木)[ 先生は、生徒を信じましょう ]

購入するパソコン雑誌は、Mac系雑誌が2冊でWindows系は、1冊になってしまう件は4月26日の日記に少し書きました。 なぜMac系のパソコン雑誌に引き付けられるのかは、記事の守備範囲か゜極めて広いのです。Mac Powerの記事では、 ディザイナーの川崎和男氏の連載記事が好きです。Macを扱う人がMacのキャビネットの意匠に敏感なのかが、この記事を読んでいる読者層(すなわちMac愛好家)のセンスがWindowsユーザーより少し良いかが解ります。パソコン雑誌の比較は、 Mac Powerと同一発行もとの「株式会社アスキー」のパソコン雑誌「月刊アスキー」や「ASCII DOS/V Issiue」と比較してです。「月刊アスキー」は、3年前までの5年間購読していましたので。

Mac Power(1999年4月号)のでは、フューチャー・ライト・オーファネージ(カンンボジア孤児院)の記事(バーナード・クリッシャー著)に感動しました。記事のページは、312〜313の2ページだけでしたが、記事の内容にうなずきました。
(前略)
仮に私たちがタイムマシンを発明し、時代をさかのぽることができたとします。例えば19世紀初頭の外科医を今日の病院に連れてきたとすると、彼は自分の目に映るものを何1つ理解できないでしょう。つまり、今日のテクノロジーはそれほど大きく変化していそわけです。ですが、もし私が同じようにタイムマシンで19世紀初頭に戻り、教師を現代に連れてきたとすると、彼が今日の教師の代行を務めることは不可能ではありません。つまり、教育というものは19世紀の初めから何も変化していないわけです。
そして今日、子供たちのほうが教師よりもコンピューターに精通しているという状況があります。これは世界中で実際に起こつている事実です。 これから2年以内という非常に短い期間にインターネットのユーザー人口がおよそ10億人に達するということです。これは、概 算で全世界の人口の5分の1にあたります。驚かされるのは数字そのものではなく、このインターネット人口のうち開発途上国 の人々が非常に高い比率を占めるという点です。なぜそう予測できるかというと、開発途上国における教育は、先進国での 教育に比へてずっと積極的かつ創造的であるからです。 例えば、本が1冊もない地方の学校があったとして、その学校がインターネットに接続されると、言うなれば全世界の図書館がそこにもたらされることになります。
(後略)

先生の発達が無い事は、私も経験があります。 「多可高校ホームページ」作成では、雛形として「学校 概要」を作成しました。その作成では、学校発行のパンフレット等をそのまま入力を予定していました。しかし「学校発行」 のパンフレットの内容は、先生が一番偉く、父兄や生徒は先生に従うべき者としての用語が全体に散見されました。
兄には、「いくら何でも、この言い回しではホームページには使えないです。内容は、対等な立場の文章に変更しましょう。」と提案しました。兄も「普段学校で発行した文章は、先生と生徒の立場が変だと今まで気づかなかった。確かに表現は、縦社会の言い回しになっている。」と表現変更を承認してくれました。
尚、ホームページの開設では、「学校長の承認」はもちろん、「人物の肖像」については当人より承諾書を取った上で掲載しています。

ここからが本題です。
皆さんには、「多可高校ホームページ」を見て頂けますが、多可高校からは、外部のホームページを見る事ができないのです。
多可高校のホームページは、兵庫県立教育研究所のサーバーにあります。兵庫県立教育研究所のサーバーがプロバイダー(IPS)の役目をしています。 外部のホームページが見えない事は、兄のパソコンから「多可高校」のパスワードを使用してサーバー接続し、確認しました。外部のホームページが見えない事は、インターネツトでは、無くなってしまいます。これは、教育上からは、インターネットを否定しているのと同じと感じます。また「パッキンのおネエちゃん」を見せない配慮かもしれませんが、「学生が自分で見て」自己責任で判断すべきことだと思います。「見せない様にする」事よりも、「異性に対しての本当の理解」を教えて行くべきだと思います。料理に喩えれば、肉を多く食する時は、野菜も十分取りましょう。そうすれば、健康な若者になります。デス。

近所の高校生から「インターネットに触らせて」の要望がたまにあります。彼らも期末試験や研究課題のレポート提出には、インターネットが欠かせないようです。彼が来るのは。、私が外出するタイミングになります。彼にパソコンを預けて、私は外出してしまいます。何の心配もしていません。後からお母さんが「お世話になりました」と挨拶して下さいます。親も心配してないのです。
インターネットの利点は、他のホームページから情報を見つけ出して利用することです。「おじいちゃん家にマックがやって来た」の「みんなの伝言板」では、関心のある情報とリンクしたページがピッタリの場合、お互いに、『インターネットはすばらしいネ。!!』の言葉が付きます。
また集まって来る常連さんは、日本全国やアメリカからの参加もあるたら極めて楽しいのです。
いがっちょさん(東京)
キネジマさん(新潟)
SAYさん(新潟県村上市)
TOMOKOさん(兵庫県)
doi_wtrさん(京都府福知山)
eddieさん(大分県)
しじ丸さん(アメリカ)
いちかわさん(兵庫県)
流れ星さ吉さん(大阪?)

もう一つ困った(1998年2月現在)のは、兵庫県立教育研究所へのホームページ登録です。FTP(Fetch等)を使用してのホームページアップが出来ませんでした。たまたま兵庫県立教育研究所は、実家から5Kmしか離れていませんので兄は「フロッピー持参」でアップしてもらいました。それでも対応が悪く、英語のページ修正(地図が日本語)は、98年2月に「FD」で依頼しましたが1年経過しても修正されていません。 兵庫県立教育研究にホームページ登録している学校が増えて居ないと思うのは、私の反感だけではないと思いますが。
1999年4月29日(木)[ 運動してますか ]

今日は、3時間歩いてきました。午後3時に出発して、6時に焼き肉屋に到着。焼き肉屋からは、20分歩いて帰宅。 アーーー眠い。真露でヨッパラッテラー。一週間飲んで無いためムチャクチャよってます。 今から寝ます。 以上
1999年4月28日(水)[ 職場のサーバーにホームページ ]

今日は、少しうれしい事がありました。職場のサーバーにホームページを作りたい人が増え3名になりました。作るホームページは、もちろん仕事の内容です。仕事のホームページは、個人が管理するページよりも数段責任が重いのです。個人のホームページと比較すると、10倍は大変です。仲間が増えた場合、お互いにアイデアを出しあい、現状よりも改善したい希望が出て来ます。

私個人のホームページの全データ量は、約5.3Mbytesです。結構入力したつもりでもフロッピー3枚あれば十分記録出来ます。会社で作成したホームヘージのデータ量は、現在56Mbytesです。1997年10月6日から作り始めて1年半が 経ちます。自分でもよくボランティア(無報酬)で入れたと思います。半分以上は、趣味の世界ですが。

職場のサーバーは、イントラネット内です。会社には、ホームページの立ち上げにおける規定があります。ホームページ立ち上げ規定は、社外向け、社内向けの区別は特に有りません。たとえ社内用でも提供する情報の質が問われますし、リンクページは必ず了解を取る等の規定が設けられています。といっても職場の上司は、ホームページの管理規定を知りません。管理規定は、全社ネットワークを管理する部門のホームページに記載されているものを自主的に参考としています。ネットワークを発達させるのは、我々だという考えが、自然に「自主管理」として定着しています。 これらの関係上から私個人のホームページでは、著作権上の問題があってはならないとの考えから、幾分普通よりも堅苦しい「著作権」のページを設けているのです。

職場のサーバーにホームページを作る楽しさは、スピードとページ更新時の快適さです。社内のホームページでは、5Mbytesのソフトのダウンロードでも4〜5秒で完了します。ホームページの更新も自分のパソコンから直接サーバーへ書き込みし、ほとんどパソコン上だけの感覚で処理出来ます。

社内イントラネットは、全世界とはファイアウォールのサーバーで隔離されているだけです。会社の秘密は、簡単に社外へ転送する事が出来ます。このあたりの危険性の管理は、個人の判断に負うところです。私の場合は、定型フォームは自宅で作成しますが、情報の入力だけは会社内で行ないます。機密漏洩は、必要以上の配慮をしていて普通なのです。会社でのホームページ更新時は、いつも世界の波打ち際にいる感じがしています。

会社のホームページ仲間が増える事は、サーバー管理者やホームページ管理者の孤独を解る仲間が増えることです。

私の日記は、最近固いです。ゴールデンウイーク中には、柔らかくなりたいです。


1999年4月27日(火)[ 耳の聞こえない人の電話 ]

昨日、帰りの電車の中で”手話をしている人”が電話をかけていました。エーーーーー!!。マジー。何で、どうして。 彼らは、手話は、出来ても発音と聞く事の出来ない人(聾唖の人)でした。私は、失礼とは思いのしたが、2分ほど何で????を点滅させたまま見ていました。
納得。ナットク。彼らの使用している電話は、電子メール付きの携帯電話でした。最近は、携帯メールが多くなり、何に使うのかピンときませんでした。昨日の経験は、ハンディキャップのある人には、良い通信手段だと関心しました。

私は、「貴方は、電話がお好きですか」質問されたら「嫌いです。」と答えます。毎月の電話料金の内訳は、ISDNデジタル通信が5000円、通話料金は300円以下でいつも小額です。仕事の場合でも、電子メールやFaxで大筋の連絡をしてから電話します。技術的な仕事の場合、電話で意味が通じるのは極めて少ないのです。相手の言う事を聞いて、内容を理解して、会話に入ります。相手がFAXをおもちの場合、ほとんどしFAXで知らせます。この方が、通信料金や時間の節約になります。FAX用の資料まとめには、時間を要しますがお客様には喜んで頂けるものと考えます。自分からサポートセンターに電話する場合でも、まずFAXで内容を送ってから電話をします。サポートセンター側もFAX内容によって質問者のレベルが判断し、それに応じた対応をして頂けます。私の例では、SOHO−MN128−SLが固定IPアドレス設定出来ない件でサポートセンンターのお世話になりました。連絡は、私からの2回のFAXと6回の電話(全て3分以内)で解決できました。きちんと調査しての電話は、とても大切だと思いました。その時の会話と対策内容は、「SOHOテストページ」をご覧下さい。

職場での「携帯電話所持者(PHSを含む)」は、恋愛中の人が持っている傾向にあります。結構高い確率です。結婚すると彼らは、福沢諭吉や夏目漱石は、価値感がかわるそうです。でもって携帯電話は、持たなくなります。もし私が「携帯電話」を持っているのを見かけたときは、ソットしておいて下さいね。おねがいします。(←春ですね。脳天気ですね。)

ついでに手話の話をましょう。これは、兄から聞いた話で結論は「手話は、健常者が話せる様になる。」です。兄は、多可高校では、手話同好会をつくりました。生徒は、のどかな地域のため、人前で会話する経験が少なく、大人しいのです。手話教室は、ボランティア課外活動として始まりました。兄も元々素人ですから上手とはいえませんが、手話が未経験の生徒には教える立場です。しばらくすると生徒の学習能力の速さによって手話能力は、逆転するそうです。生徒は、だんだん先生を追い越すことで、生活全般にも自信が芽生えるようです。手話同好会で1年経過すると、生徒は大勢の人前でも十分自信を持って話せる様になるそうです。
手話は、意外な事でも役立ちます。手話同好会の生徒が一番喜んだ出来事は、沖縄への修学旅行でのスキューバダイビングです。水中でも手話で会話し感動を即時に仲間と分かち合う喜びを得たのです。潜るだけの生徒よりも、感動は、大きかったようです。
1999年4月26日(月)[ Back Office MAGAZINE 休刊 ]

今日は、少し難しい話をします。今日の日記は、飛ばし読みされる事をお勧め致します。

わっちゃーー。Back Office MAGAZINE 日本語版(QC出版社 月刊誌)の奥付けを読んでいて休刊になることがわかって ガッカリです。1997年10月創刊で1999年6月号(4月24日発行)をもって休刊になるようです。この雑誌は、 ムチャクチャ難しい雑誌です。私がビギナーと呼べるのもこの雑誌によって謙虚な気持ち(何が書いてあるのか ワカンメーーー)になる雑誌てす。 変な比較としては、漢字が三分の一混じっている韓国の新聞の方がわかりやすいです。(最近は、90%以上 ハングル文字ですが。)

Back Officeとは、WindowsNT Serverで使用するMicrosoftのサーバーアプリケーションの総称です。ソフトの種類は、 電子メール(Exchange Server)やインターネットホームページ用サーバー(Internet Infomation Server)、データーベースソフト(SQL server)、プロキシサーバー(Proxy Server)、Index Server ,などがあります。Windows NT Serverを入れたプロバイダーのサーバーと言われるコンピュータは、これらのソフトが入っていて、普通のPhoto ShopやIlustrateやOFFice98などのパソコンソフトは、入っていません。
ようするにコンピュータのネットワークを動かす為のソフトです。Back Office MAGAZINEは、これらの新製品や事例紹介の月刊誌です。

なぜこんな本を読むのかは、私の性格に起因します。私の性格は、極めて怠け者で、勉強が嫌いです。勉強が嫌いなので高校を出たらすぐに就職しました。大学(夜間短期)は、25歳を過ぎたとき、必要を感じてから行きました。必要と感じるまでは、何にもしないのです。パソコンの本も同じです。解らない本を無理矢理読んで自分をハングリーな状態に追い込まないと勉強しないのです。この方法は、昔からです。よく人から「お前の様な個性の強い人間がよく今の会社から放り出されないないな」と言われます。内心「アーーまたか。解ってるんですけど」と思っています。

怠け者の性格は、すでにお話したWindows95を109回インストールした事にも関係します。Windoes95を買ったのは、人様よりも3ヶ月遅れの96年1月末でした。MIDIをWindows3.1やMS−DOSで楽しんでいましたから別に変更する気持ちはなかったのです。 元上司に「これ正月に試して見ませんか」と正月休暇直前にWindows95を渡されたのが間違いの始まりです。バソコンのハード(特にMIDI機器)は、時代より少し遅れる傾向にあります。そのため、Windows95をイントールしても正常には、動作してくれません。まともに動作しない情けない状態から、何とかしなければと思う気持ちに火が付いてしまい、BIOSの設定やIRQソースの設定など一通り調べる事になりました。試行錯誤の繰り返しの結果、半年間で50回以上のWindows95再インストールを行なってしまいました。性格がたまたま良い方向に働いた結果、Windows95パソコンの知識が身につき自作パソコンの組立てが出来るようになりました。最近は、WindowsNTパソコンの自作が出来る様になりました。WindowsNTパソコンは、 プラグ&プレイはなくハードも2年前販売の安定した製品でないと正常動作しない場合があります。ハードの選択は、Microsoftのホームページ「ハードフェア互換性リスト」で確認出来ます。
でもWindows98は、まった使用する気は、ありません。MacOS Xの方が興味あります。

Back Office MAGAZINEを購入したのは、「パソコンの次は、インターネツトのサーバーに手を出して見たい」と思いはじめたのです。始めて開いた時は、ウーーーーンとうなって閉じました。内容の60%は、コンピュータ用英単語とカタカナでかかれていて、読めたのは、平仮名と漢字だけです。いまでも寝る前に開くと半ページも読まない内に寝てしまうのです。ヒジョーーに解らん雑誌です。

拠り所の雑誌の休刊は、少し寂しいです。
現在購読の雑誌は、3冊になってしまいました。
昨年8月頃は、8冊でしたが。
今でも読んでいるのは、DOS/V マガジン、 Mac Power、Mac Fanです。DOS/V マガジンは、パソコンのハード記事が 中心で Mac Power に比べると内容的に品素なので「ヤメヨカ、カンガエチュウ」の状態です。

今日の日記は、面白くない。以上
1999年4月25日(日)[ 運動・文化してますか??? ]

パソコンは、面白い。Macも面白い。「面白いとパソコンばかり触っているでしょう??」と言われそうですね。 時には、連休全て「インターネット」という時期は、ありました。インターネット半年目の8月連休は、4時間毎に 睡眠とインターネットを繰り返していました。1ヶ月のインターネツト時間が100時間を超えてしまい、ISDN デジタル通信料金(25000円)を見てギョーーーっとした覚えはありました。その時の電話料金は、たった300円でした。

今日は、自転車で40Kmを走ってきました。別の職場から屋外バーベキューをするからとのお誘いで、行ってきました。 キャンプ場のため、山道4Km(上り)も経験し、今日は少し疲れてます。無理しないで今日の日記は、これくらいにします。

土曜日は、奈良県文化会館での「富美ケ丘高等学校 吹奏楽部 第8回定期演奏会」に行きました。 これが、高校生かと思うほどの演奏レベルです。毎年奈良県吹奏楽コンクールで金賞を受賞しています。 演奏時間は、午後6:30〜8:30の二時間で、難しい曲にも挑戦しています。 私が聞きに行ったのは、昨年に続いて2回目です。
来年も行きたいですね。
第1部
ダンスフォーバンド(小長谷 宗一)
課題曲「グリーンフォレスト」(内藤 淳一)
「アルルの女」第2組曲より 間奏曲(ビゼー)
ピアノとバンドのための3つの楽章より第1楽章(アンドレ・ウァイグナイン)
勝利と伝統(ロバート・E・ジエイガー)

第2部
富美高まるかじり
日本民謡メドレー
THE LION KING(エルトン・ジョン)
序曲「ピータールー」作品97(サー・マルコム・アーノルド)
アンコール

1999年4月24日(土)[ X'mas Music Page??? ]

日記初めて一週間。キャッホー。まだ続いてる。
最近このホームページは、賑やかになってきました。まるで「クリスマスの12月」のようにカウンタがアップします。 最近またネットワークでお仲間が増えたためと思います。
ホームページは、お仲間が居ないとページ更新する元気も出ませんよね。自分一人で色々工夫しても話し合う人が居ないと なかなか上達しません。良い友達がネットワーク上で見つかると、インターネットは俄然楽しくなります。また脳天気に 更新すると、楽しさにつられて人が集まって下さるんです。

私の「Xmas Music Page」の開設時期は、プライベートの「35歳ネット」の「私たちのクリスマス」及び 「117net」のクリスマス特集と同時期でした。お互いにページの更新をジャンジャンやって楽しかったです。 ホームページは、1997年9月6日に最初の1ページを11時間で立ち上げて 12月25日の18ページ分作成した時には、5000カウントになっていました。
この時期の楽しさは、格別でした。おかげ様でまだこのホームページは、「楽しかった時」を栄養にして持ちこたえています。 残念ながら「私たちのクリスマス」は、今年の3月頃にUnixのメンテで消去されました。98年は、更新がなかったため 閉鎖されたと思います。一番活躍していた高林郁代さんがツアーコンダクターとして「フランス・ワールド杯」で疲れてしまった のが原因かも知れません。高林郁代さん元気ですか。MASAYO's Travel Diary!『ツアコン日記』の更新が最近無いので心配してます。
(『ツアコン日記』のURLは、アドレスを直接に高林さんへメールで確認して下さい。)

ホームページのX’mas CDの紹介は、1997年12月25日から停止したままです。兄がホームページのキッカケとなった 「兵庫県立多可高校」から別の学校に転勤(1998年4月)したのも原因です。このホームページに取っては、あまりパッ!と しない年でした。強いて言えば、「ベルさんのページ」を立ち上げただけでした。
CD紹介の更新は、していませんが「Xmas Music Pagge」 の名称は、私のお気に入りなので将来『魚屋のページ(喩えですよ!! )』になったとしてもこのまま残したいと思っています。 ここは、クリスマスの時期以外は、ほとんどアクセスが有りません。
もっぱら私が、アクセスして会社のサーバー『データーベースページ(イントラネット内でのボランティア作業)』を更新すると きHTMLのタグやレイアウトの確認に使用しています。それと初めて仕事をする人へ自己紹介するために使用しています。
I−TECの湯山さん見てますか。←完全に私信。)
「兵庫県立多可高校」のホームページは、兄(Windows95 & NT4.0 Workstation)が作成したので、現在は更新されていません。

最近の私は、極めて脳天気に更新しています。今日は、著作権のページで「リンク時は、許可メールを下さい」を削除しました。 Mac系の人は、寛大に出来ていて、「リンクOK」の表示が出ています。私もそれに習って「リンクOK」の立場にしました。 脳天気な状態の時は、結構なにかやってみたいのです。
この脳天気の原動力は、「おじいちゃん家にマックがやって来た」 のTOMOKOさんとMacMacなお仲間にLinkのおかげです。
今年に入ってから作ったページは、この「ビギナーときたま日記」を含めて3つです。この調子だと、PearでCGIも挑戦 出来るかな。無理シナイデオコー−−っと。(聞かなかった事にしてください。)チャンチャン!!

今日は、朝から「ふとんパソコン」してました。快適な状態を経験すると止められません。また怠けグセが復活しそうです。
今日は、3つのホームページで入り浸っていました。
収穫は、eddieのトキドキ日記が10000カウントになりました。 私の訪問した時は、10007でした。大御所のTktrさんに続いて、掲示板に書き込みができました。(ドキドキ!!)
続いては、arara etcさんの日記(119Kbytes)を読ませて頂きました。漫画は、先週全部読んでしまいました。私の「弟子2号」 へは、同じような心当たりの人がいますよと知らせています。
araraさんの日記で見つけたのは、ゆう子のホームページです。NEO相談室(94Kbytes)を読んでました。ゲヘヘと面白い です。「最近の出来事」には、日記風になっており、各日記に付いているイラストが全てカエルを着た女性です。このイラストが 面白いんですよ。「どうぞもってって」にGIFアニメが登録されています。GIFアニメで「アキレス腱をのばすニシオノ」 (11Kbytes)が私のお気に入りになってしまいました。残りは、ぼちぼち読ませて頂きマウス。 だけど会社のサーバーから追い立てられた経過(自分で独立して仕事をするようになった結果らしい)は、少し可哀相ですね。大体がインターネツトをしない人が権限を持っていますから ネー!!。

1999年4月23日(金)[ Macの心使い??? ]

『Macのセンセーーーありがとう御座いま−−ス!。謹賀新年入れて頂いて』と「弟子1号」から電話が掛かってきたのは お正月です。私は、???????。??・・!!アっあれかー。(私は、Macビギナー1ヶ月以内でしたから、 私も実物を確認するためにG3 MT266に電源入れました。)
チミーそれは、だねー。Macのシャレですよ。取りあえず、開けましておめでとう御座います。Macにも開けましておめでとう。 「弟子1号」は、結構このMacの小技がお気に入りのようです。この日以来何かあると「まっく、マック〜〜」と 節を付けて口ずさんでいます。

確かにMacは、”マッタ〜〜・・こんなところでご機嫌取って”なんて感じる事があります。それでいて「変に頑固、気まま、 Macの使い方知らねーんだろと、感じさせるような部分」もあります。操作している自分の気持ちとシンクロした時は、 パッ!!と妙な人懐っこいところが感じられます。私は、ビギナーなのでまだ「素のままで」使用しています。でも なんとなく、ほのぼのするものがあります。

そもそも私が、「ビギナーときたま日記」で世界に向かってバツイチ 表明出来たのは、Macのおかげです。大体が「バレンタインデーの義理チョコ」の話を聞くだけで”今日は、会社ヤスモウカナー”と毎年 落ち込んでいました。3月にMacてMIDI再生が出来た時は、 いままでのMIDI再生以上の感動がありました。スンゴク人間臭い喜びがありました。同時に「義理チョコ恐怖症」も吹っ飛びました。 MIDI再生は、PC9801(NEC)でMS-DOSソフト で聞いていましたからナレッコだったのですが。感動したMacでのMIDIは、Quick Time2.5J音源とネットスケープの簡単な構成でです。 MIDIの再生が出来たときは、ホントうれしかったです。ナンナンダローと今でも不思議です。

Macとの出会いと、私の人生が「同時協調性」(シンクロ)したのかもしれませんね。たまたまと言う事は、出来ます。 でも脳天気にこんな日記書いてるから、「Macで幸せになりました。」と書いておきましょう。

Mac教の布教の文章にナッチャッタかな。アーメン。(起動音でMacOSは、ジャーーーン。WindowsNTは、クシャクシャクニュクニュと聞こえる。)
1999年4月22日(木)[ 何で「日記」始めたの??? ](23日に追記)

シャープの修理センターさんゴメンナサイ。私への連絡先の電話番号間違えて。
今日、ノートパソコンが戻ってきました。修理完了は、修理伝票を見たら修理依頼した 16日でした。 私が、電話番号を間違えたため一週間引き取りが遅れてすみません。
一応私は、Windowsユーザーの一人だと印象づけておいてと。ヨッコラショ。

再度、シャープさんゴメンナサイ、カンニン。
会社の事務所は、98年11月21日に引っ越したのに、まだ電話番号を間違える体たらくな私です。
さて、私のホームページをたずねて下さる人は、私が Windows バリバリのPower Userだと誤解する様です。 ホームページ内容は、パソコン設定をまた間違わないように「忘備録」としています。 ところが世間様は、これはテストレポートと良い様に解釈なさいます。そもそもそこなんです。 このドタバタ、スッタモンダで何とかした私は、ビギナーなんですと言うことをお分かり頂くために、日記を 始めました。ヤッテモータの反省の記録として見ていただくのが、目的です。

私は、3年半で109回もWindows95を再インストールしました。1回のインストールは、2時間掛かります。 MACの30分以下で完了は、感動ものです。ましてやCD−ROMからの起動が出来るなんて、オー愛しのMacOS8.1。
(MacOS8.5.1は、遠慮しています。トラブルが恐いのです。なんせMacビギナーですから。)
私は、Widowsパソコンが調子が悪くなるとすぐHDDの初期化します。大体がヤッテモータの結果です。 このドジサ加減をお分かり頂きたいのです。大体が恐いもの見たさで、SOHOネットワークしたり、Serverの 「さ」の字も知らないのにサーバーを立ち上げようとして、Small Busines Server 4.0を買ったりしました。 今は、購入したことを後悔しています。MN128−sohoがDNSサーバーのプライマリーに設定されているため、 DNSプライマリーのみのSmall Busines Server 4.0とは、衝突し使用出来ないようです。これが理解できるまで1年間 掛かっています。 その間のSmall Busines Server 4.0のインストールも19回になりました。今だに動作させる事は、出来ないとは。
カナシ。

私が日記にはまりこんだのは、99年1月22日〜24日に風邪で寝込んだときでした。やる事がないのでノートパソコンを 枕元で「ふとんパソコン」していました。「弟子1号」は、『先生のはどう見ても「トドパソコン」ですよ』とのたまう。
ただ寝てるだけでは、もったいないので年末に知った「おじ いちゃん家にマックがやって来た」の全ページ(503Kbytes)を読んでいました。風邪ひいて寝てる家からは、時々「げへへへへ」と笑い声 が聞こえるのは、後で考えると不気味な気もします。笑うなと言う方が、無理かも。3日間「ふとんパソコン」した結果、 自分が風邪で寝ていたのか、腰痛で寝込んでいたのか・・・???」。

3月29日から4月2日の出張には、2つのページをノートに詰め込んで持参しました。なんせ携帯でのインターネット 環境はありませんから。
モバイルな日々の全ページ(1.41Mbytes)
ポチさんのページは、出張中に毎日3時間読んでいましたが一週間で全体の1/3読むのががやっとでした。 読み終わるのに出張中を含めて二週間かかりました。スンゴイ量です。ポチさんは、「もば日々」を 読んで初めて、女性(きぐるみ)と理解しました。最初は、言葉使いのやさしい『・・・』だと思ってました。
Kure's HomePage我が妻との闘争 (130Kbytes)
もう一つは、呉エイジさんのページです。試しに出張先の人に見せたら、「ゲラゲラ」笑っていました。

出張から帰り、「おじいちゃん家にマックがやって来た」 の「伝言板」でeddieさんに出会いました。ついでだからeddieのトキドキ日記 (240KBytes)を読ませて頂きました。「トキドキ日記」は、お父さんが傑作です。続いて読ませて頂いているのは、 Mac Beginner's Diaryのトビトビ日記(1.51MBytes)です。 日記の量が「モバイルな日々」より多いんです。だからまだ97年1月のところです。ガハハと笑うところは無いですが、 するする読める名文ですよね。こんな日記にしたいですね。私の性格では、ムリカ。

最近eddieさんの「トキドキ日記」に今日の冗談の 抜粋が出ていました。抜粋を読むだけで「ギヒヒヒヒ−−−−ひえー」と笑います。「今日の冗談」のホームページ全体(494Kbytes) から直接読むと色々なパターンがあります。難解度とかR指定とか有ってなかなか洒落ています。でもキーボードが無事かと 心配するほど「吹き出したり」します。夜中に「ギャハハハハ−−*−−!!」は、お勧めしませんが。思い出すと寝られなくなります。 面白すぎて「eddieさんの掲示板」に「ありがとう」と書き込みに行きました。
そしたらご親切にメールでおバカの世界も面白いよと連絡頂きました。 「ちょっとだけ“日記”もとお話したら「書いたら」と言われたのが4月17日。
・・・・で日記を書いているのであります。

「トビトビファミリー」等の皆さん、勝手にリンク張りました。許可を取らなくてゴメンナサイ。
1999年4月21日(水)[ MACの先生は、弟子にご機嫌を伺う??? ]

MACの世界は、一般常識とは30度ほどずれているようです。見方は、どちら側を贔屓にするかで かわりますけれども・・・。強いて言えば、MACの世界は、先生の方が弟子にご機嫌を伺うのが常識 の様です。最初は私も変な世界だと思っていました。先生が、弟子にご機嫌を伺う????。先生は、 よっぽど弱みを弟子に握られているのか、無理して背伸びしているのを隠すためにご機嫌を伺っている のかと思っていました。日本語で「MACの先生は、弟子にご機嫌を伺う」というと、少々(多大に?) 根暗な響きがあります。だからハイカラブッテ(古いいーー!!)エバンジェリストなどと表現してい るのに違いないと心底思っていました。

Windowsの世界でもパソコンについて聞かれた場合、出来るだけ親切に教えます。たまには、こっちが 損をする事がありますが、親切にしたいと思います。でも最近は、エバンジェリストというのは、 少しWindows派の先生と弟子の関係では無いように思えます。MACの弟子は、手荒に扱っても 「自称弟子」と自分から宣言しています。Windowsは、人口が多いため「おんぶにダッコ」の質問によ く出会います。その辺に差を感じるのかもしれませんね。

私は、MACを買ってから5ヶ月になります。超ビギナーの私も、よく考えると弟子のご機嫌伺いを しています。このご機嫌伺いが結構楽しいのです。自分のMACに対する知識も同時に増えています。 Windowsで感じた一方的な「先生と弟子」の関係ではありません。なんとなく解ってきたような気に なってます。

「弟子1号」は、MACを買う参考にした教科書「マックな人(藤原鉄頭氏)」に出てくるテトリス がしたいと申します。探しましたね。検索で。有りましたね。MAC用のテトリスが。 テトリスを渡してから、3ヶ月経過しますが、「弟子1号」はまだ看板原稿作成の合間にやって いるようです。「テトリスで腱鞘炎じゃコリャコリャ!!」といいながらです。
テトリスは、下記にお世話になりました。
谷田謙太郎のソフト (http://www.kentaro.com/)


1999年4月20日(火)[ メモリ交換方法??? ]

私には、Windowsの弟子は居ません。ヤッテモータと反省で始まるMACの「自称弟子」のみです。 MACの弟子は、自分で出来るかどうか考える前に行動します。根掘り葉掘り質問しないので、助かります。 私は、弟子から「MACの先生」と呼ばれていますが、私は、れっきとしたMACビギナーです。正真正銘のビギナー です。今のところは、Windowsで習得した知識をMACに当てはめて急場をしのいでいます。その内私の 立場は、無くなるだろうとは思っています。取りあえず付け焼き刃がバレナイ内は、「MACの先生」と呼んで頂けます。

弟子2号からは、パソコンのメモリ増設の教えて下さいとメールで質問が来た(99年4月4日の出来事)。 MACビギナーには、メールでの質問は助かります。必死に資料を調べをする時間が頂けます。先生の威厳は、損なわれ ません。そして私は、弟子にメールで回答します。
(1)MACのメモリ(128Mbytes)は、家電量販店ではなく、パソコンショップで買いましょう。
1万円程度の差があります。
(2)メモリ交換する時は、ウールのセーターは着ない事。木綿の服で裸足が好ましい。

次の日には、早速の弟子のすばやい行動が確認できました。
あのですね、メモリ128MBを購入しました。2万7千円で宅配にしてもらったのです。 家電量販店のメモリ128MBは、3万6000円でした。 メモリ入手しましたが、説明書もなくて、図解の本を見たのですが、書かれてなくて、装着の仕方がどうしても判りません。 どうか、教えて下さい。確か、木綿の物を着てするようにとのことでしたが…。宜しくお願いします。
そして私は、メールで回答します。
(1)パソコンの蓋を開ける。
(2)貴方の入手したものとよく似たメモリ基板がパソコンには、1枚(32Mbytes)が付いています。その場所を確認します。
(3)メモリスロット(メモリ基板を差すソケット)は、3つならんでいますが、既設のものに連続して挿入します。
(4)挿入する時は、基板の金メッキ端子の切れ込みとメモリソケットの方向をあわせます。
(5)ソケット両横ののレバーを外に開きます。
(6)メモリ基板を取り付けます。
(7)ソケット両横ののレバーは、正しく挿入されると閉じます。閉じないときは、挿入不足または挿入誤りです。

注意事項
1.パソコンの金属にさわって(帯電した電気が放電する。・・ピリピリはしません)
2.電源コンセントはぬいておくこと。モデムやCRTの関連するコンセントは全てぬく事。
3.メモリ基板の金メッキ端子には、触れない事。指の油で接触不良になります。

その他。
メモリの抜き差しは、メーカーの保証範囲内です。誰でもできることだから安心して作業しましょう。
メモリソケットには、綿屑や髪の毛を挟まない事。

次の日にまた「弟子2号」は、質問してきました。
パソコンの蓋は、このまま一週間開けたままにするのですか。
私は、この質問は意味が解らなかったのです。でも冗談半分の質問だと思って回答しました。
(1)メモリ増設は、馴れた人は3分で完了します。
(2)一旦蓋をしてから電源をいれます。
(3)メモリ増設の完了確認は、「アップルメニュー」→「このコンピュータについて」で確認できます。
(4)メモリが160Mbytesになっていたら正常です。

うすうす感じた事は、「弟子2号」は、マジに蓋を閉めるのをどうすべきか考えていたようです。ウソダローと思ったのですが 本当みたいです。ただ「弟子2号」のG3 DT233は、蓋を開けることが出来ず、業者にきてもらった様です。 業者の人は、20分苦労して開けたようです。どおもどこかの機構が引っかかって蓋が開かなかった様です。 自分の手におえない時は、プロの業者を呼んで処置した「弟子2号」は、さすがです。私が訪問していたら多分MACの キャビネットを壊していたと思います。おかげで私は、まだMACの先生のままでいられます。
1999年4月19日(月)[ なんでまたMAC??? ]

さて困った。私は、何とパソコン(MAC)の先生と言われてしまった。それも「自称弟子」が 2人になってまった。こともあろうに「弟子2号」は、自分の子供に『この人がパソコン(MAC)の先生です』と。 4月17日(土)の御ミサ後の御聖堂の中でです。神様の前で言われたので否定もできず少しコマッチャッタナー。本心は、 少しうれしかったりして。でも私は、まだMACを購入して5ヶ月の初心者です。ビギナーです。だからこの日記は、 「ビギナーときたま日記」にしました。
ちなみに私は、バツイチのカトリック信者です。

ちなみに「弟子2号」に 教えた内容は、「G3 DT233でPhoto Shop、Ilustraterを入れてメモリ32MBytesは、ダメ。128Mbytes増設して160Mbytesが 適正です。」だけです。 そもそも私は、Windowsユーザーです。昨年の8月までは、半端じゃないWindowsユーザーでした。MACの深みにはまったのは、 「弟子1号」がキッカケです。「弟子1号」は、看板屋(営業)で仕事上からMACで看板原稿を作らないといけないのです。 「弟子1号」は、昨年8月から12月までIlustraterをパソコン教室で勉強中でした。「弟子1号」曰く、パソコンの先生 は、良いパソコンをご存知ですか。出来たらMACが良いのですが!!??。(当時まだ”MACの先生”とわ言われていなか った。)

私の購入するパソコン雑誌は、8月の頭からWindows系4冊にMAC系4冊の合計8冊に増えてしまいました。 「はぐれMacFan改造派」、「MachintoshユーザーのためのWindows乗り換え講座(WinPC)」なども読んでバード及びWindows側からの 解釈をしようとしました。インターネットからは、 「矢作晃の iMacと暮らす5つのツボ」を読んでみたりしました。
その頃パソコン(Windows)のディスクトップは、MacOSの壁紙にかわっていました。よせば良いのに自宅と職場のです。 ましてや職場のパソコンのメニューバーは、MAC同様に天井に移動させていました。 マウスパッドは、アップルマークとG3 MT266の絵柄に変えていました。
通勤で読んでいた本は、「マックな人(藤原鉄頭氏)」1〜4巻です。 11月の初旬は、MACの機種選択にはある程度精通するようにはなっていました。自分でも少しヤバイとは、思いはじめていました。

「弟子1号」は、10月中頃にマックの値段を知りたい ので「大阪日本橋に案内しろ」とのたまわった。へいへい中古での価格表(ソフト込みで30万円)も準備致します。 てなことで下見に日本橋へ。「弟子1号」は、『この街を歩く人の目つきは、先生そっくりですね。少し世間とは違いますね。』とのたまう。 「弟子1号」は、再度(11月23日)「大阪日本橋に案内しろ」でG3 DT233 (Vram +4M, メモリ +128Mbytes)を買ってしまいました。 「弟子1号」の出費は、MO、スキャナー、ソフト込みで45万円となりました。キーホードとCRTは、仕事のプロとして「弟子1号」 が選びました。キーボードは、Adjastable KB(英文)、CRTは平面19インチ(A901H 飯山)です。

ヤバイナーーーー。
会社の事務所は、11月21日に引っ越しました。通勤コースは、2駅寄り道すれば、大阪日本橋の大電脳街です。 通勤の最初の週は、土日を含めて5日間も日本橋に立ち寄りました。それもMACの中古ショップ。ヤバイナー。
ソフマップ8号館の4階では、新古の Apple Keboard Uが年末特価で1000円安くなっていました。 キーホードは、弟子への格好付けの飾りとして買いました。

案の定、私は12月4日(金)に会社の休暇を利用してMAC(新古 G3 MT266 Vram +4M,メモリ +128Mbytes)を買ってしまいました。 次の週には、MAC用にMOを買ってしまった。ただしWindows用をです。MOは、MACフォーマット品を使えば良いのですから。 後で調べたらMOフォーマッタ(B's Crew)は、7000円で売っていました。MOは、MAC用とWindows用は、1万円の差があります。全部そろえると 3000円儲かった勘定です。ちなみにWindows版MO(i/oDATA MOF-S640)には、RINGOWIN(MACとWin相互変換ソフト)が付いていました。

12月25日に「弟子1号」は、会社からプリンタ「HP DISK WRITER800」を無料で譲り受けてきました。
「弟子1号」に「プリンタドライバ」は?、と質問したら『ハイ ネジ回しです。』と+ドライバを持って来た。 まるで「おじいちゃん家にマックがやって来た」の状態です。 「おじいちゃん家にマックがやって来た」は、この頃に「Mac Fan」で知りました。
1999年4月18日(日)[ ハーブの芽がでた ]

庭先には、今年もハーブを植えようと思います。 昨年のハーブ作りは、引越しと片づけで5月スタートでした。 開始が1ヶ月遅れた結果、日照りに負けて成長は遅かったです。今年は、3月中から畠の掘り起こし等をして 準備をしていました。ハーブの種まきは、4月3日でした。ペパーミントやフェネルの新芽に急き立てられる 様にしてのたねまきでした。今年の予定は、バジル、セージです。昨年から宿根で根付いているのは、 ローズマリー、オレガノ、タイム、ペパーミントです。昨年種まきして成長したのは、ペパーミントとフェネル そしてバジルだけです。後は、あきらめて市販の苗から育てました。畑の性格も解ってきたので今年は、 素敵なハーブ畑にしたいとおもいます。

1999年4月18日(日)[ ノートパソコンの入院 ]

久しぶりにディスクトップで作業しています。最近は、ノートで「ふとんパソコン」ばかりしていました。 ノートの当初目的は、モバイル用でした。最近は、ふとんから頭と手だけだしたメールチェックするのが 習慣になっています。そのノートは、キートップが外れで個人での修理不能状態のため修理に出しました。 買った最初からキー「F5」が外れ易かったのです。

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Diary Page Since Aplil/18/1999 By AKIO KAMBE