ベル神父のフランス食物誌
発行所  株式会社 近代文芸社
装丁   五味恵子
ISBN4-7733-1778-7 C0095
本体価格 1748円(消費税を含まない価格)
初版発行 1993年4月20日



ホームページ作成日付1998年8月11日

装丁   五味恵子


前書き

 食事づくりは、毎日のことで、主婦にとって必ずしも楽しいとはいえない日 課です。せっかくのご飯も、まず、子供の食事、そうして遅く帰ってくる夫の 食事となると、なおのことです。

 ところが、休日、幾人かの友人と寄り合って一緒に料理をつくり、一緒に食 べるのはとても楽しいことです。各自が料理のことばかりでなく、いろいろな 話題をとりあげて、にぎやかな雰囲気の中ですごせるなら、なおさらのことで す。

 私が開いてきたフランス料理教室は、そういうような集まりでありました。 私が宣教師として日本にきて、今もキリスト教のよさを理解してもらいたいと いう使命を持っています。ですから、本職は『神父』で、料理は専門ではない のです。しかし、料理を一緒に作って、生徒たちと一緒に食べているうちに、 私はひとつの発見をしました。同じテーブルを囲んでいた生徒たちと私とでは、 食べもの、食事、料理など、思いおこさせるイメージの世界は異なっていると いうことがわかったのです。お互いに、文化がそれほど違うのかと、具体的に わかったのです。

 今日、本屋さんの棚の上に、料理のテキストは充分にならんでいます。本書 は、料理のもうひとつのテキストではなく、異質な文化の具体的な例として料 理を話題にするつもりなのです。その作風は、フランス語でいう『propos de table』(プロポ ドウー タブル<食卓談義?>)です。それは、おいしい料 理をいただくとき、雰囲気をうるおす会話  まじめな話題と軽薄な冗談が まじっている---------会話なのです。

 本全体は、短い章にわけられていますが、-----同じ話題が連続的にとりあ げられている場合を除いて----その順序にさほど意味がありませんから、読者 は、気まぐれに好きな順序で読まれるのもひとつの方法です。  本書で私は、食べものの世界、その世界を思いおこさせるさまざまなイメー ジをとりあげました。それは、食に関しての自分の文化を案内することなので す。フランス人が、食卓につくとき、無意識的とでもいえるほど、自然に心に 浮かぷものは、たとえフランス料理を習っていても、たとえ本場のフランスま で行って、レストランにはいって行っても、日本人は、理解できないのです。 本書で、その世界の案内をしましょう。

 長年、畳生活をつづけてきた私は、衣、食、住にひそんでいる文化の味をお ぼえてきました。生まれ育ちから、身についたものとかなり違う和食の味も覚 えました。日本滞在の年月は、私の人生の半分をこえはじめました。人種的に いえば、日本人になりきれませんが、すでに純然たるフランス人ではなくなり つつあるのです。悪くいえば、中ぶらりんなのですが、良くいえば、両方の感 覚を持っているのです。その意味で、フランスの食文化のこの紹介には、複眼 的思考が全体に流れているかのようにみえ、それもまた本書の特徴であります。

 ここで、日本の事柄にふれているところがありますが、日本とフランスの食 の文化の比較は、意識的に避けたつもりです。本書を読み終わって、フランス の食の文化をわかりはじめた読者が、刺激を受けて、こんど、自分自身の文化 について、同じアプローチをもちいて考えてくだされば幸いです。じつは、そ れが本書の最終的な意図なのです。       <ヨハネ・ベル>


目次

まえがき

たまねぎ1

たまねぎ2

たまねぎ3

たまねぎ4

料理で大事なのは

スパゲッテイ

コーヒー

にんじん

ブドウ酒

カラフ(水差し)

スープ

料理ってまぜることでしょうね

パンは主食ですか?

ブタ

かたつむり

台所

テーブル

Hospitalite

冷蔵庫

ホステス

オーブン

じゃがいも

チーズ

チーズとブドウ酒

日本人はなんで食べますか

フォーク

メニュー

3時のおやつ

製粉所

うさぎ

おいしいことはよいことだ

断食

リンゴとレモン

トリュフ

食い道楽

マスタード

マヨネーズ

レンズ豆

皿洗いはおかまか

アルコールは男だ

砂糖は女だ

卵焼きさえつくれなかった

オリーブ

バター

不浄な食べ物なし

料理の先生

 

 

− たまねぎ 4 −


 みな体験したことがあると思うが、たまねぎをむくと涙がこぼれやすい。な ぜだろうか? 科学者に言わせるとたまねぎには涙線をイライラさせる成分が あるからだそうだが、ぼくはこの説明だけでは満足できない。科学の説明は説 明ではあるけれども、それはしょせん科学のレベルだけの話だからだ。  そこでぼく自身の考えた説明を披露しよう。『皮ですよ!』たまねぎの皮は 実にきれいだ。ぼくのワイシャツがやや古くなり汚れがあまりとれなくなると、 たまねぎの皮で染めるのだが、ま、それは別の話。そう。その皮は半透明なの だ。この世のうちでもつとも感動的なのは、あけぼのとか夕暮れとかいうあい まいなものだ。それは真昼でもなく真っ暗でもない不確かな明暗なのだ。真昼 は丸見えでおもしろくなく、真っ暗もまた話にならない。ところがたまねぎの この皮ときたら、中身を隠しながらまたそれをちらりと見せるのだ。ついでい わせてもらえば、見せると同時に隠すということは象徴の定義だ。ま、それは ともかく、たまねぎの中身まで見たいというこちらの欲望が刺激され、反面ま た満足されないので皮をむくのだ。ところがまた皮がある。いつまでも欲望が 満足されない。その結果また皮があるとわかると耐えられなくて涙をこぼすの だ。  かくて、ただの玉ねぎにさえ、欲望をストップさせない力、欲望をたえず無 限にまで導く力がある。だてに神様につくられたものではない。